原生林の魔物 - 後編 1/2
アオジはイビルジョーを攻撃する。風を切って貫通矢がイビルジョーの皮膚を切り裂いた。ツグミが剥ぎ取り用のナイフを逆手に持ち直し、背中を刺した。膨れ上がった筋肉から血が噴き出した。それでもツグミは怯むことなく、ナイフによる攻撃を続けていた。このナイフは堅固な甲殻をいとも簡単に剥ぎ取ることのできる代物であり、ハンターの標準装備だ。
イビルジョーが体をのけ反らせる。ツグミは背中から滑り落ちないように、剣を背中に突き刺すと、柄をしっかりとつかんだ。
「アオジ君、もう少しよ!」
アオジは頷いた。弓に毒ビンを装填して、胸元を狙撃する。毒で出来るだけ早く体力を削り取るためだ。イビルジョーが首を捻ってツグミを叩き落とそうとしている間に、ビンを全て使い切るようにして撃ち続けた。イビルジョーの様子が変わった。涎の分泌量が増えてきている。
ビンを外し、今度は接撃ビンを取りつける。
ツグミがナイフを戻すと、剣を力ずくで抜いた。血が更に噴水のように噴き出るのと同時に、ついに恐暴竜は転倒した。泥水と血が混じりあった液体が飛沫を上げる。
「にゃあ!」
レッティとツグミが宙に放り出される。アオジは僅かに二人に目をやったが、特に心配をしていなかった。ツグミとレッティは地面に投げ出されるが、案の定ツグミはすぐに剣を手にしてイビルジョーに果敢に飛び掛かった。とても“お嬢様”とは思えないくらいの勇ましさだ。
イビルジョーの隆起した筋肉は、まだ赤みを帯びている。ツグミとレッティは柔らかくなった背中を一心不乱に攻撃していた。アオジも恐暴竜を攻撃する。
ハンター二人とオトモアイルーの猛攻を受け、イビルジョーは多量の血を流していた。イビルジョーは口から血と唾液と龍気を吐き出していた。四肢をばたつかせて、自身に群がる者たちを退けようと抵抗している。つぶらな瞳がぎょろりと空を見た。
アオジがツグミとレッティに下がるように合図を出す。ツグミは少し物足りそうな顔をしていたが、素直に従った。イビルジョーは反動をつけるようにして立ち上がった。僅かに地が揺れる。アオジは隙をついて、背後から足を狙撃した。
矢は脚に突き刺さり、恐暴竜は体勢を崩した。ツグミが切りかかる。イビルジョーが踏ん張って体勢を戻すと、突っ込んできたツグミに食らいつこうとした。ツグミは顎を潜り抜けるようにして、滑り込む。そして盾で喉を叩きつけた。喉に粘菌がこびりついた。続いてレッティも手に持っている武器で喉を攻撃した。刺激により粘菌はプルプルと震えながら、徐々に変色を始めていた。
「アオジ君! 喉を攻撃できるかなっ?」
「随分と無茶を言いますね」
イビルジョーの噛みつき攻撃をかいくぐりながら、ツグミはなんとか距離を取る。アオジは矢を番えながらイビルジョーに接近した。顎を狙うようにして、弦を引き連射矢を撃つ。複数の矢が顎に突き刺さった。更にイビルジョーの動きに注意を払いながら、顔を集中して攻撃していると、イビルジョーは頭をのけぞらせた。すかさず次の矢を番える。喉の粘菌は赤く変色し、ふつふつと沸き立つようにして蠢いていた。
風を切って矢が喉に突き立ち――爆発が起こった。
アオジは接撃ビンを外すと、ペイントビンを取り付けた。
あれからイビルジョーとの交戦を続けた。大分弱っているようだが、恐暴竜の体力は残っていた。
イビルジョーは地響きを立てるようにして、原生林のちょうど中央に位置するエリアの方へ向かっていった。
三人は無理に追跡することはせず、態勢を整えることを優先した。
ツグミは剣を研ぎおわると、回復薬を呷った。
「ねぇ、アオジ君。ギルドからの迎えは何時くらいになりそうだっけ?」
アオジは日が傾きかけた空を仰いでから答えた。
「夜くらいになるかと」
「ダンナさん、おうちに帰りたいのニャ?」
レッティの問いにツグミは首を振った。そして、さも当然と言いたげに、
「まさか。夜までに何とか狩るわ」
「……ニャ」
「レッティ、あきらめが肝心ですよ」
「……ニャア……」
項垂れるレッティを尻目に、アオジは弓の調子を見ていた。
「よしっ!」
ツグミはもう準備が整ったようだった。レッティがツグミを見上げる。
「アオジ君はもう行けそう?」
アオジは短く「はい」と答えると、弓を背負った。
漂うペイントの匂いと足跡を頼りに北西の方角へ進むと、恐暴竜の気配がだんだん強くなってきていた。アオジが小声で言った。
「どうやら、エリア5にいるようですね」
ツグミは地図を確認した。やはり原生林の中央のエリアこと、エリア5に向かったようだった。
「あそこって……毒沼があるエリアよね。それに隣にモンスターの寝床もある場所よね……?」
アオジは頷いた。
「さすがにイビルジョーが暴れまわっている中で、のこのこと出てくるモンスターはいない……と思いたいところです」
恐ろしいほどに怖いもの知らずのコンガ、おこぼれに与ろうとするゲネポスとイーオス辺りが要注意といったところだろうか。尤も、イビルジョーの激しい攻撃が流れ弾のように当たって倒れているという光景が容易に想像できた。
エリア5に近づくにつれて、徐々に血の匂いが強くなってきた。円柱形の柱のような物が大地に、ぽつりぽつりと立っているのがよく見える。そして見上げると、コケの柔らかい緑に覆われた、途方もない大きさの背骨が屋根のように架かっていた。この世界には巨大なモンスターが闊歩しているが、あの骨は、ラオシャンロンやジエン・モーランのものより、もっともっと大きかった。骨の合間から空と大地がぼんやりと見えるが、とても狭く感じた。
木々の陰に身を隠しながら進むと、開けたエリアに小さな山のような影が、ぼぅっとした様子で立ち尽くしていた。はぁはぁと大きく呼吸している。周囲に大型モンスターはもちろんのこと、小型モンスターの姿もなかった。
アオジが恐暴竜の様子を窺いながら、
「私がイビルジョーの気を引きます。ツグミさん達は背後に罠の設置をお願いします」
罠で拘束して一気に畳みかけるつもりなのだろう。
「ここでとどめを刺すのね?」
アオジは頷いた。
「……ニャ」
彼は物陰から出て行くと、弓を構え、音を立てずにイビルジョーへ近づいていった。ツグミ達が待機している場所から大分距離をとったところで、アオジは敢えて音を立てるようにして矢を撃った。イビルジョーはやや緩慢な動きで、音がした方向を見た。空腹なのだろうか。涎が滝のように流れ落ちている。
ツグミは罠を確かめた。イビルジョーのターゲットはアオジに向いている。
「レッティ、行くわよ!」
「うにゃ!」
レッティは最早やけっぱちだった。ツグミとレッティは背を低くして、罠の設置のために素早く恐暴竜に近寄った。イビルジョーがアオジに食いつこうと踏みだした。飛び散る唾液。アオジは矢を番えながら、バックステップで降り注ぐ唾液を躱す。そしてイビルジョーの鼻っ面目掛けて、連射矢を撃った。イビルジョーは血飛沫を上げて上半身をのけ反らす。
恐暴竜は口から声を漏らした。背中が充血して隆起する。そして唾液と龍気をまき散らしながら、アオジに噛みついてきた。
「……っ」
ツグミは急いでイビルジョーの背後に罠を設置しようとした。イビルジョーは思いきり振り返る。尾が鞭のようにしなった。ツグミは身を伏せて、攻撃をやり過ごす。レッティは尻尾でぶっ飛ばされて、エリアの端っこで倒れこんでいる。アオジが回避しきれず、尻尾の先端で肩を殴打されていた。
「早く離れてください!」
しかし弓を取り落とすことなく、ツグミにすぐに離れるよう指示を出していた。
ツグミは頭上から落ちてくる物の気配に、地面を蹴ってその場から離れた。直後に地面が揺れる。イビルジョーが片足を上げて、ツグミを踏み潰そうとしていたのだろう。ツグミは剣を構えて向き直った。
アオジが矢を撃って再びイビルジョーの気を引こうとしていたが、恐暴竜の視線は確実にツグミに向いていた。
イビルジョーは全身を使って、ツグミに迫りくる。アオジが走る。
ツグミは突っ込んでくるイビルジョーの噛みつき攻撃をどうにかやり過ごしたが、飛び散る唾液を頭から浴びていた。防具――鎧を覆うフルフルの皮が強酸性の唾液により溶けていた。
アオジはイビルジョーの脚目掛けて、連射矢を撃った。幾つもの矢がイビルジョーの脚に噛みつこうとした。が、恐暴竜は尾を激しく振り回し、矢を薙ぎ払う。更に、流れるような動作で脚を振り上げた。再び地面が揺れ、二人の動きが制限される。
眼前に尾が迫る。
「あっ……!」
ツグミの躰に重い衝撃が走る。彼女の軽い体は、風船のように吹っ飛ばされていった。ポーチや袋の中身がばら撒かれる。イビルジョーは足でツグミを押さえ込んだ。拘束より逃れようとするが、恐暴竜に拘束されて身動きが取れない。
捕食行動だ。捕まったら最後、こやし玉による迎撃や仲間からの救助が無ければ、どんなに屈強な体でも、どんなに守備に固めた防具でも意味をなさない。何故なら、この強酸性の唾液がハンターの防具を容赦なく溶かすからである。現にツグミの防具は――不気味な音をたてて金属部分も溶けかかっている。
鼻を突くような悪臭に目の前がくらくらとしていた。――ツグミは少しだけ後悔していた。
「ツグミさん……!」
アオジの声にレッティがはたと気が付いた。
アオジがこやし玉を手にして、ツグミの救助にすぐに向かう。が、イビルジョーはツグミを押さえ込んだまま、龍気を纏ったブレスをアオジ目掛けて吐き出した。ブレスの範囲は非常に広く、攻撃を掻い潜って接近することは叶わなかった。イビルジョーを怯ませることができればいいが、足元にはツグミがいる。
「ダンナさん、お、お助けするニャ!」
弱虫で怖いのが大の苦手なレッティ。ツグミの“わがまま”に振り回されることは多々あるも、彼女はオトモアイルーとして落ちこぼれだったレッティを拾い上げてくれた。ここでダンナさんを助けなければ、オトモアイルーとして最低だ。レッティは地面を蹴ってイビルジョーに立ち向かおうとした。
「レッティ、袋を取ってきてください!」
「ニャ!?」
アオジがイビルジョーの気を引いている中、イビルジョーに向かって走るレッティに指示を飛ばした。彼はレッティが知っているハンターの中でベテランに類するが、いつになくひどく焦っていた。
なるほど。イビルジョーの近くに袋があった。確か袋の中には――狩猟前に調合していた未使用のシビレ生肉があったはずだ。レッティは急いで袋を担ぐ。危険かもしれないが、そでもレッティはダンナさんを助けたかった。
レッティがイビルジョーの前に立ちはだかる。当然イビルジョーは目の前に現れたアイルーに食らいつこうと動き出した。その隙にツグミが拘束から逃れようともがいていたが、唖然とした顔でレッティを見上げていた。アオジの顔色が変わる。
「レッティ、それは――!」