原生林の魔物 - 前編 1/2
今日はとても天気が良い。
遠くを見れば、桃色の背の高い鳥の群れが見える。踝ほどの深さの水は暖かく、水面は太陽光を受けてキラキラと輝いていた。空気は湿り気と熱気を帯びていて、汗ばむ程度の気温だ。
ツグミは黒曜石のような材質で造られた片手剣と小盾を置き、ちょうどいい大きさの岩に腰を掛けた。剣と盾には粘性の液体のようなものが付着している。防具はフルフルの素材で作成されたものを装備している。頭部を守る防具から濡れ羽色の髪がのぞいていた。長いまつ毛に縁どられた目は太陽の光をまぶしそうに見て、海の底のような青い瞳はキラキラとしていた。
遠くにいるズワロポス達は、こちらの存在を気に掛けることもなく水を飲んでいた。
原生林に出現したグラビモスの狩猟を終えて、持ち込んだアイテムを消費していた。そのためポーチはすっかり軽くなっていた。
討伐されたグラビモスは、腹部の甲殻を叩き割られ腹筋をさらしていた。
「にゃあ、ダンナさーん」
背後の草むらから、やはりフルフルの装備を纏った白いアイルーがひょっこりと顔を出した。先端が燈色に光るハンマーのようなものを背負っている。ツグミは少し驚いた様子で振り返る。
「これ見てニャー」
「どうしたの」
アイルーは背筋をピンと伸ばしてポーチから欠けた鱗を差し出した。その鱗は黒く光っており、微かに生臭かった。欠片を受け取ったツグミは、ひっくり返したり、光に透かしたりモノの正体を見極めようとしていた。
「うーん? これ、どこかで見たことがあるわね」
アイルーは三角の耳をくりくりと動かしながら、
「僕も見たことがあるニャ。……できれば戦いたくないのニャ」
「まぁた、そういうこと言う。何しに来たのか分からないじゃない、レッティ」
「……あのダンナさん。僕たちはクエストが終わったから、今から帰るところニャ……」
アイルーことレッティの耳はそっぽを向いている。ツグミは立ち上がって、剣と盾を装備しなおした。そして遠くに向かって手を大きく振った。
もう一人――漠浪弓を背負った男性ハンターがこちらにやってきた。背がとても高い。目つきは鋭く、見ようによっては、冷淡な印象を与える。防具はベリオロスの素材で作成されたものだが、通常のものとは意匠が違っていた。
「迎えの要請をしてきました」
レッティは尻尾をたてる。
「帰るニャー!」
「迎えが来るまで、まだ掛かりますよ」
目を輝かせるレッティを見て、ハンターは少し呆れたような表情を浮かべていた。一方、ツグミは原生林の地図を手に狩場の北部を指さした。
「じゃあ、迎えを待っている間に採取へ行きましょ」
「どうぞ行ってきてください」
ツグミの言葉に、ハンターは勝手に行ってろと言いたげだった。ツグミは首をかしげながら、
「え、アオジ君行かないの?」
アオジと呼ばれたハンターは心底嫌そうな顔をして見せた。
「ベースキャンプで寝ていたいのですが」
「せっかく原生林に来たのに……もったいない」
「原生林に欲しい素材はないので大丈夫です」
そう言ってアオジはベースキャンプへ向かおうとした。
不意にレッティの全身が毛玉のように膨れ上がった。それと同時に地面がわずかに隆起した。ぼごりと水っぽい音と共に山ができる。ツグミとアオジはとっさに構えた。そして山は活火山のごとく、泥水を激しく巻き上げながら隆起した。
危険を察したズワロポス達が急いで去っていく。
「……にゃあ」
地面から湧いて出てきたという表現が正しいだろう。
“それ”は地面からゆっくりと、ぼたりぼたりと泥の塊を落としながら、全身を現した。“それ”はこちらに背を向けていたが、ボルボロスのように泥を飛ばしながら振り返った。
「イビルジョーね」
「……えぇ」
二人と一匹は恐暴竜ことイビルジョーを見上げていた。
体高はおおよそ3メートル、全長は25メートルといったところか。かなりの大型サイズだ。
暗緑色の鱗と皮に覆われたこの獣竜種は、泥混じりの涎をだらだらと流していた。全身に古い傷跡が多くみられるが、特筆すべき点は背中に大きな噛み痕があることだ。大きさから想像するに、噛みついたのはティガレックスあたりだろうか。
顎には無数もの棘が生え、頭部から尾にかけて逆立つ鱗が、体の上部と側に線を描くようにして生えている。つぶらな目がこちらをじっと見ていた。
太い胴体に対して、二足歩行のための後ろ脚はさほど太くなく、前脚はとても小さい。
イビルジョーは小さく足踏みをすると、空を仰ぎ、天地を揺るがすがごとくの大声量で咆哮をあげた。桃色の鳥たちにまで恐暴竜の咆哮が届いたのだろう。一斉に飛び去って行った。その様は桜吹雪のようであるが、状況が状況ゆえにのんびりと眺めている場合ではなかった。
「アオジ君!」
「……はい」
「狩ろう!」
「……何を? 何故?」
「イビルジョーを! 宝玉が欲しいの!」
アオジはツグミの腕をつかみ、彼女を半ば引きずるようにして走り出した。レッティも慌てて二人の後を追いかけた。
「ベースキャンプで寝たいと言いましたよね?」
「素材の採取じゃないわ」
アオジはため息をついた。
「ツグミさん。お願いですから、寝言は寝てから言っていただけますか」
イビルジョーがうなり声をあげて追いかけてきた。
「でも、イビルジョーなんてなかなか狩猟できないでしょ? アオジ君にとってはそうでもないかもしれないけど……」
「イビルジョーは無理して狩る必要はないと思いますけど?」
「じゃあ、私とレッティで行く!」
レッティが「にゃっ!?」と悲鳴のような声をあげ、アオジはもう観念した様子だった。これ以上言ったところで無駄だと悟ったのだろう。ツグミの腕をつかんでいた手を放す。
「……。……準備をしてください。であれば私も協力します」
「……うん、分かったわ!」
アオジは弓にペイントビンを取り付けながら、ツグミに獣人たちの住処へ一旦行くように指示を出した。ツグミはレッティを連れてアオジの言うことに従って走り出した。
イビルジョーは水しぶきを上げてツグミを追う。アオジがイビルジョーを足止めしようと、弓を構え、矢を放った。矢は風を切りイビルジョーの脚を穿った。すぐに恐暴竜の注意がアオジに向かう。
ツグミはアオジが心配になったが、ここで足を止めているわけにもいかず走り続けた。
地図を頼りに道に沿って走り続けていると、やがて超巨大生物のものと思しき大きな背骨のあるエリアにやってきた。まるで大木のような大きさの背骨は地面から生えており、岸壁に埋もれていた。
前方は隣のエリアに通じるトンネルだった。
生物の大きな遺骸もそうだが、木も見上げるほどの大樹で、その大樹の木のいくつもの根っこが地を這っている。その根っこは地面から浮いており、隙間を覆うようにして数多のツタが張っていた。人間やアイルーはもちろんのこと、ババコンガやネルスキュラぐらい大きさのモンスターであれば乗っても破れないほどの頑丈さだ。
辺りを見回し、ツグミは薬草やアオキノコを集めてポーチに詰め込んだ。背後から複数もの甲高い鳴き声が聞こえた。
「ダンナさん……どうするニャ?」
まだら模様の小型鳥竜種たちが、縄張りの侵入者を感知して跳ねるようにしてこちらにやってくる。
「ゲネポスね。相手している暇はないし、早く行きましょ」
「それが良いニャ!」
ツグミとレッティは木の根っこを駆けのぼり、ツタを渡って獣人の巣へ向かう。赤い顔料で描かれた壁画を確認して洞穴へもぐりこむ。
中に入るとアイルーとメラルーたちが、にゃごにゃご話しているのが聞こえてきた。
穴の壁にも白い絵の具で描かれたネコのような絵がいくつもあった。ツグミは洞穴の中でレッティと一緒に、回復薬を調合していた。
しばらくしてアオジが、ツグミが入ってきたところから洞穴にやってきた。空きビンに毒テングタケを詰めこみ、蓋をして振っていた。
「イビルジョーを撒いてきました。薬の準備はできていますか?」
「えぇ!」
ツグミはそう言うとアオジに、薬をいくつか渡した。アオジは「ありがとうございます」と言うと、回復薬を受け取った。
「そういえば、グラビモスを狩るときに使おうと思っていたシビレ罠とトラップツール。結局使っていなかったから使いましょ」
ツグミは袋からシビレ罠とトラップツールを出して見せた。
「そう言えばそうでしたね。とどめを刺すときに使いましょう」
「オーケー。それでイビルジョーは今どのあたりにいるの?」
「このあたりですね」
アオジは地図を広げてツグミに見せた。彼が指し示した場所は、少しだけ傾斜のある場所だ。イビルジョーが地面から湧いて出てきたエリアのすぐ隣だ。
必要な道具類の準備を済ませて二人は立ち上がった。
「念のため確認しておきますが、ツグミさんはイビルジョーの狩猟経験は?」
「半年前に一回だけ」
レッティがぶるりと身震いしていた。
「分かりました」
アオジは洞穴からそっと外の様子を伺っていた。
「生肉は今持っていますか?」
「うん、一つだけだけど……これで罠肉を調合するの?」
「話が早くて助かります」
そう言いながらアオジは採取してきた思しきものが入った袋を二つ渡した。
「こちらの袋の中にマヒダケが入っています。分かっているとは思いますが、取り扱いには気を付けてください。それでこちらはウチケシの実です」
「ありがとう!」
ツグミはマヒダケを受け取ると、キノコを潰しはじめた。そしてペースト状にしたキノコを生肉に塗布する。レッティはツグミの作業をじっと眺めていた。
「イビルジョーは恐らく空腹ではないかと思います」
「どうしてニャ?」
「先ほど私たちの前に現れた時点で空腹の状態でしたが、先ほど、グラビモスの腹部を胃袋に収めているのを見ていたので」
「んニャ!」
レッティは今にもひっくり返りそうだった。ツグミはマヒダケを塗った生肉――シビレ生肉を背負っている袋に入れた。
「でもイビルジョーって、すぐにお腹を空かせるのでしょ?」
アオジは頷いた。
「設置はそのタイミングで良いでしょう」
入ってきた方から逆の方向から出た。周りは緑に囲まれ、きれいな水の流れるエリアだった。北側は岩壁に埋まった超巨大生物の脊髄が天に向かうようにして伸びており、非常に高い崖のようになっていた。脊髄からツタが絡み天幕のごとく幾重にもなって垂れ下がっていた。ツタは頑丈で上ることもできる。崖の左右から流れ落ちる滝の水しぶきは冷たい。
ツタを登った先には大きな巣があり、飛竜種たちが休眠を取る姿を見られる場所だ。北西の崖も同じくツタが垂れ下がっており、こちらも登ることができた。
南側は大きな樹木が生えており、仰ぎ見ると赤い花を無数につけていた。落ちた花と花弁が水に浮かんでいる。水底にも花弁が堆積しており、周囲を美しく染め上げていた。
いつもいるはずのズワロポス達の姿が見えない。恐らくイビルジョーの出現で安全な場所に身を隠しているのだろう。
レッティが耳を澄ませ、周囲の状況を探っていた。
「ンニャあ、イビルジョーがこっちに来ているニャ!」
水の音に混ざって、野太い声と、遠慮の欠片のない足音がしてきた。
アオジがツグミに隠れているように、と指示を出す。ツグミはレッティと共に木の陰に隠れた。アオジも弓にビンを取り付けて、岩陰に身をひそめた。
大きな二足歩行の竜は、水に沈む赤い花を散らしながら、南側の方からやってきた。裂けた口と顎は鮮血で染まっている。
あの血はグラビモスのものと見た。これが捕獲依頼であったら目も当てられないだろう。しかしよく見ると、イビルジョーの腹は完全に満たされているようでないようだ。涎こそ出ていないが、つぶらな目は食料を求めていた。
ふらふらとした足取りで、ここにいるはずのズワロポスを探しているが、やはり見つけることができなかったようだ。グルル……と唸り声を上げている。
アオジが目と手で合図をした。ツグミは頷く。レッティは……丸くなっていた。もとより戦力には数えられていない。アオジがそっとイビルジョーに接近する。漠浪弓の特性上、なるべくモンスターに接近する必要があった。矢を番える。
ツグミも剣を構え、腰を上げた。
不意にイビルジョーが振り返る。アオジが矢から手を放し、複数の矢が放射状に発射された。脚に矢が勢いよく突き刺さる。恐暴竜が鋭く走る痛みに首をのけぞらせた。漠浪弓の持つ龍属性の力の影響か。龍属性はグラビモスにもある程度有効であるが、イビルジョーにはかなり有効だ。
イビルジョーが足元の人間を踏みつけようと、もう片方の脚を上げた。アオジは合間を縫うようにして、イビルジョーから距離を取った。更にビンを外す。
ツグミが背後から突っ込み、矢の刺さった脚を切りつけた。脚に粘液が付着する。
「転倒させるわ」
「分かりました」
レッティも覚悟を決めたようにツグミの後を付いていった。
恐暴竜は脚を振り下ろす。地面が揺れ、ツグミは地面に手を着いた。しかしすぐに立ち上がり、バックステップから脚に向かって突っ込んだ。更に脚を蹴りつけて、盾で殴りつける。再びステップで後退して盾を構えた。脚で小爆発が起こった。イビルジョーはギャンッ! と叫んでよろめいた。
「にゃあー!」
レッティは遠距離からブーメランを投げてツグミの支援をしていた。
アオジはイビルジョーが転倒しやすいように、ツグミが攻撃している脚に連射矢を撃っていた。